20191215鑑定イベント「占事四傑」を開催します

占事四傑(せんじよんけつ)

~4人の占い師が結集し、一人の方を占っていきます!~

・概要

12月15日(日)、芳垣宗久田中要一郎賢龍雅人SUGARの4人の占星術師(四傑)による合同鑑定会を開催いたします。

お一人1枠50分を前半組の<田中・SUGAR>、後半組の<芳垣・賢龍>の2組に分かれ、代わるがわる計4人で占っていきます。

2020年の過ごし方から各種お悩み相談、専門的なご質問まで、鑑定時間は何にでも自由にお使いください。

 

・特徴

①伝統とモダンの融合

占星術には、「伝統占星術」と「現代占星術」という主に二つの潮流があり、前者はホラリー、ロット、プロフェクションなど端的に判断を下していくための古典的な技法を特徴とし、後者はミッドポイント、小惑星サビアンなど通常は見過ごしがちな深層や本質を掘り下げていくための細密な読みを特徴とします。もちろん本イベントの鑑定時間の中ですべてを網羅することはできませんが、二つの潮流や観点を交えた鑑定となっていきます。

※西洋占星術以外にも、タロット、手相、四柱推命、方位学などの占術も適宜使用します。

 

セカンドオピニオン×2

一人の占い師が出す結果やアドバイスには、必ずどこかに主観が入り、穴が生じてしまうもの。本イベントの鑑定では、基本的に2人の占い師が一組となり、前後半の2回に分かれて占っていきますので、できる限りそうした穴を埋めつつ、必要があれば異なる意見の提示や改善案の提案など、フォローアップを徹底しています。

 

③ただ「聞く」だけでなく、自分で「考える」占いを

一対一の鑑定の場では、往々にして「占い師⇒相談者」の一方通行になりがちで、相談する側が意見することさえできないもの。本イベントでは、占い師同士の掛け合いに返事をしていくことで、自然と占いに「参加」し、結果をみずから「選択」しやすくなっています。

 

・募集枠

①:18時00分~18時50分

②:18時30分~19時20分

③:19時00分~19時50分

④:20時00分~20時50分

⑤:20時30分~21時20分

⑥:21時00分~21時50分

⑦:21時30分~22時20分

⑧:22時00分~22時50分

 全枠埋まりました。

・料金

1枠16500円

(当日受付にて現金でお支払いください)

 

・お申込み方法

件名に「占事四傑」と書いて、本文にご希望の枠の番号、お名前、電話番号、生年月日、生まれた時間(母子手帳に記載がありますが不明でも可)、生まれた場所(市町村)を記載の上、info@astro-ragus.comまでご連絡ください。

 

・会場

とうとう

東京都中央区日本橋浜町2-19-8

http://toutou-hamacho.com/

都営新宿線「浜町」駅A2出口より徒歩2分

東京メトロ日比谷線人形町」駅A1出口より徒歩5分

 

 

・出演者プロフィール

<前半組>

田中要一郎(たなかよういちろう)

1974年和歌山県生まれ。早稲田大学卒。占術研究家、翻訳家、芸人。日本のみならず欧米、中国、インドの諸師から様々な占術を学ぶ。世界五大風水師レイモンド・ロー公認風水師。主な占術は、西洋伝統占星術、インド占星術四柱推命、タロットなど多岐に渡る。翻訳書に『子平推命基礎大全』梁湘潤著(太玄社)、『クリスチャン・アストロロジー』ウィリアム・リリー著(太玄社)、『現代占星術家のための伝統占星術入門』がある。

Blog https://ameblo.jp/uranaigeinin/

twitter https://twitter.com/tanakakaname

 

●SUGAR(しゅがー)

1983年東京生まれ。慶應大学哲学科卒。占いは、統計学でもなければ特殊能力で真理を伝えるものでもなく、あくまで自己との対話、そして自然とヒトとの調和を深く促してくれるアート(=術)である、というのが基本スタンス。詩や俳句を好み、サビア占星術に特に関心がある。2014年より月1で朝日カルチャーセンター新宿校にて占星術講座を開講。週間12星座占いをisutaにて連載中⇒https://isuta.jp/horoscope

Blog  https://sugar39.hatenadiary.org/

twitter https://twitter.com/sugar_su

 

<後半組>

●芳垣宗久(よしがきむねひさ)

占星術研究家。鍼灸治療家。ホロスコープを人間の創造力を引き出す思考ツールとしてとらえ、古典から近代のテクニックまで幅広く研究。個人相談や原稿執筆のほか、セミナー・講演等も積極的に行っている。占星術スクール「ヘルメス学園」主催。著書に『女神からの愛のメッセージ 小惑星占星術』(説話社)、『超開運 ダウジングでどんどん幸せになる本!』(芸文社)、 共著に『もっと深く知りたい! 12星座占い』(説話社)がある。公式HP https://munehisa-yoshigaki.com/

Twitter https://twitter.com/astrohund

 

●賢龍雅人(けんりゅうまさと)

有楽町の交通会館で、10年間鑑定をしている占術家。タロット、西洋占星術、手相、モダンヌメロロジーなどを得意とする。実践のほか、カルチャースクール、占いスクールなどで多くの講座をおこなっている。『占星術完全ガイド』、『鏡リュウジ占星術の教科書』などでホロスコープ作成のアプリ/ソフトウェアについて、『マンディーン占星』にてAstro Goldのマニュアルを執筆。説話社マイカレンダー「今さら聞けない占星学」コラム連載。

Blog https://ameblo.jp/ken-ryuu/

twitter https://twitter.com/masato_kenryuu

 

f:id:sugar39:20191115131442j:plain

 

9/24(日)「度数で学ぶサビアン占星術入門」1dayセミナー

9月末まで吉田結妃さんのサビアン版画展示会を開催中のウラナイトナカイでの講座案内です。

「度数で学ぶサビア占星術入門」

サビア占星術を理解するためは、全天360度=360個のフレーズの理解が必要ですが、本講座では1度ずつその意味などを暗記して覚えていくのではなく、サビアンに込められた意味を解釈する手がかりとして「度数(1〜30)」に注目し、以下の3つの方法を組み合わせ検証していくことで、フレーズに込められた意味を解読していくための基礎力を身に付けていきます。

・5度組をきちんとおさえる
・月相でみていく
・鏡像構造で考える

今回は1day3時間程のセミナーですので、すべてのサビアンシンボルに触れることはできませんが、複雑に思えるサビアンシンボルも度数という一定の規則性に支えられた「骨子=度数」から切り込んでいくことで、自分自身のシンボルや、一見すると意味が取りづらいシンボルであっても、その意味するところをかみ砕いていくことができる実感はつかんでいただけるかと思います。

【内容】
・サインの1度〜30度までの各度数の意味と役割について
・および、度数の意味を読み解くための3つの方法とその使い方
・そもそもサビアンシンボルとは何なのか

【こんな方にオススメ】
サビアンシンボルの意味を「覚える」のでなく、「読める」ようになりたい。
・自分のサビアンを見てみたが、全く意味がわからないフレーズだった。
・暗く陰惨なフレーズで、このサビアンを持つ自分は幸せになれそうもなくてがっかりした。
・度数を読み解く3つの方法はなんとなく知っているが、その使い方や組み合わせ方を練習したい。

【参加レベル】
参加レベルは、12サインの大まかな意味や傾向を知っていることです。
参加前に12サインそれぞれの意味を復習しておいてください。

      • -

◆日時:9月24日(日)13:00〜16:00 
◆会場:ウラナイトナカイ(東京都杉並区成田東5-42-9)
◆受講料:7000円(当日会場で現金にてお支払いください)
※各度数についての配布資料あり
◆講師:SUGAR

◆お問い合わせ&申込み
info@astro-ragus.com まで、
件名を「サビア占星術入門」にして、お名前・連絡先を記入の上、ご連絡ください。


以上、どうぞよろしくお願いします。

週間12星座占いβ版(11/7〜13)

※この週間12星座占いは、「techjo」のサイトリニューアルにあわせ、来週以降はtechjoにて毎週日曜夜に掲載・更新していく予定です。

牡羊座

「消化試合は爆破するべし」

・ドラマはイタズラ心にあり
今週の牡羊座は、いちばん身近な日常の中に「ささやかな過激さ」を持ち込むかどうか、選択を迫られそうです。幼いころ、台所に立つ母親の後ろ姿を眺めていて、ふとイタズラ心が芽生えたことはないでしょうか?母親の隙をついて、おもむろに手に取ったビンの中身を、火にかかった鍋の中に放り込めたらなんと愉快だろう!と。そんな思いつきを大人の頭で「しょうもない」と捨ててしまうのは簡単です。けれど、アリスの冒険が退屈を感じる日常の一コマの中で、「人の言葉をしゃべる服をきた白ウサギ」を見かけて、思わず追いかけたことから始まったように、日常が大きく変わってしまうきっかけは“馬鹿げたありえない”思いつきにこそあるもの。もし今あなたの中に、少しでも「なんとなく先が見えている」という気持の緩みがあるなら、一度は捨てた思いつきの入ったゴミ箱へ、頭からダイブすることも厭わないで。

・イタズラは淡々と実行する
『100歳の華麗なる冒険』というスウェーデン映画の中で、主人公のアランおじいさんは100歳の誕生日に“ただなんとなく”老人ホームを脱出し、ふいに荷物を預かり、適当にバスを乗り降りし、人と出会い、それがやがてギャングとの抗争劇へと発展していきます。牡羊座の人は、アドバイスなんてあまり聞いていられないかも知れませんが(インスパイアは別)、念のため書いておくと、いったん思いつきに従ったなら、それがどこへ導くものであれ、途中で止まらず進み続けること。アランおじいさんが素晴らしいのは、何が起きても一切自分を責めず「これで良い」と淡々と行動し続けられるところなのです。おそらく彼は、次のことわざをよく知っていたのでしょう。「やってくるこの毎日が人生だと知っていたら!(スウェーデンのことわざ)」。

・今週のキーワード
想定内からの逸脱、イタズラ、『100歳の華麗なる冒険』、インプロビゼーション、人生脚本をいじる

▼牡牛座

「ガチで遊べば新境地へ至る」

・好敵手を乞え
今週の牡牛座は、ガチンコでぶつかり合える相手への飢えが、ふつふつと沸いてきそう。ただそれは、初対面の相手に「やっと逢えたね(ソウルメイト的な意味で)」と声をかけるような感傷的な類のものではなく、「相手に不足なし!」と思わず叫んでしまうような武者震いに近いもの。それも才能や性格、置かれた境遇などで、陰陽のように相反する相手であるほどいいでしょう。理由は2つ。まずスイカに塩をふるように、そうした相手は自分の魅力を引き出し、鮮やかに際立たせてくれるから(牛さんは食材を生かす食べ合わせが命!)。次に、そうした結びつきは本人たち以上に、周囲にとって大きな影響を及ぼし、また必要とされ、“結果的に”長続きするケースが多いからです。逆に似た者同士の縁というのは、本人たちにとっては心地がいい傾向にありますが、一時的な関係で終わりやすいのです。性格や価値観などが大きく違うと、理解しあえず傷つけあうこともありますが、実は「お役目」を果たしている側面もあるのだ、ということも頭の隅においてみてください。

・遊びこそ真剣に!
ちょっと真面目な流れになってしまいましたが、今週を素直に過ごすヒントとしては、終始「遊び」モードを貫くこと!これに尽きます。深刻な顔も、大仰な態度も、今のあなたには必要ありません。真剣勝負というのは、本来体が震えるほど楽しいものなのですから。空想や妄想も大いに飛翔させ、熱狂の渦へと果敢に飛び込んでいきましょう。据え膳食わぬは牡牛の恥とばかりに、人としてというより、一個の生物としてのリズムや波長に身を委ねてしまってください。あなたさえそういうモードに入ることができれば、今なら何をしても許されます。たぶん!

・キーワード
項羽と劉邦、ソウルメイトよりライバル、スイカに塩、結縁もお役目、生命潮流に身を任せる、武者震い

▼双子座

「自分自身の歌を歌おう」

・違和感こそ自分事
今週の双子座は、「鋭い違和感」をどう処理したものかという迷いが出てきそう。これは特に、大きな影響を受けてきた人物や考え方に対してのもので、あなたはそんな自分に戸惑ってしまったり、「いけない考えだ」と押し殺そうとするかも知れません。けれど、人からの教えやロールモデルというのは結局「他人事」です。そこに依りかかっている限り、歩む道は受けたサポートと同じ程度にしか伸びていきませんし、本当の意味で自分自身の人生が始まることもないでしょう。その意味で、違和感とは新しい自分が生まれてくる兆しであり、「胎動」なのです。忌むべき対象としてではなく、「ついに自分のところにきてくれた」と迎え入れてあげてください。

・動き出しは素朴に
胎動が始まったら、余計な手を加えてややこしくせず、ただ自然と生まれるに任せておくのが一番。けれどこの「余計なことをしない」というのが、なかなか難しい。たいていの人が、違和感をその手でかき消してしまいます。その点で、作詞家・阿久悠の『書き下ろし歌謡曲』(岩波新書)の冒頭の書き出しは、実に耳が痛い。「前略 歌が空を飛ばなくなったと申し上げたことがあります。もう十五年も前になりますか。また、ヘッドホンで聴く歌は聴くにあらず、点滴であると危惧したこともあります。そして近くには、ミュージックはあるがソングはない、です。ずいぶん嘆きつづけているものです。特に、ソングはないということは言葉がないということで、これはいささか、はやりすたれとだけ云っていられない気持になります」。違和感を、さりげなく日々のルーティンのリズムに乗せて、即興劇でも演じるようにソングを歌う。その感覚のきっかけだけでも掴めれば、今週は万々歳と言えそうです。

・今週のキーワード
違和感は胎動、余計なことはしない、ただ祝う、即ちソングを歌う、作詞作曲イラスト漫画スケッチ創作活動

▼蟹座

「過去をお手玉する」

・上手に風邪をひくには?
今週の蟹座の星回りからは、「ソワソワ感と妙な落ち着き」の両方が表れています。もともと蟹座の人というのは、自分のテリトリーを異分子に乱されることをひどく嫌う傾向にあるのですが、今週はむしろそんな事態をどこか待ち望んでいるような節さえあるのではないでしょうか?これは、体が「風邪」をひいている状態に近いと言えます。体内に入ったウィルスが増えていくと、気の流れがどんどん高まり、免疫活動が活発に行われていく。そうやって、季節の変化などに対応するため、体が全体のバランスを変えようとするときに、風邪という形をとる訳です。その意味で、異分子というのは、少し先の未来から挨拶にやってきた使者であり、「今のうちから少しずつ慣れておくように」というある種の宇宙的気遣いなんですね。これは頭で分からなくても大丈夫。体が先に対応してくれるので、あなたは落ち着いてどっしりと構えていましょう。

・崩してから整える
注意すべきは、「ウイルス」を偏狭な頭でシャットアウトして、安易に現実を単純化してしまわないこと。気持ちに余裕がない時は、どうしても、一発で問題解決できる手段を選びたくなるものですが、それではせっかくの体と宇宙の共犯関係が台無しになってしまいます。今週はむしろ、きたる将来へ向けて、もとのバランスを崩していかなければなりません。もし不安が強い場合は、騙されたと思って以下のエクササイズを実行してみてください。まず、これまで自分が築きあげてきた環境、継続している習慣、努力の成果を、手のひらサイズの「玉」のようなものとして思い浮かべる。次に、それらを順に空中へ投げて、頭の中で「お手玉」していく。その際、手から玉が離れると同時に、玉に対する執着が剥がれ、消えていくようイメージするのがポイント。最初はスムーズにお手玉できないかも知れませんが、何事も慣れです。ぜひお試しあれ。

・今週のキーワード
『風邪の効用』、野口晴哉、これまでのバランスを崩す、お手玉エクササイズ

▼獅子座

「体張ってナンボ」

・天岩戸神話
今週の獅子座は、「強い光を浴びる」時。プロデューサーや監督のように舞台裏から指示するのでは物足りず、大物女優のようにポーズをとって、文字通り体を張って人前に立ち、ついでに追加のライトを要求するくらいの強い自己主張が求められる、そんな星回りなのです。ただそれは高飛車になって周囲を見下し、ケチな自尊心を保つために安全領域に引きこもるのではなく、そこから一歩踏み出し、最高の自分を見てもらおう、我が身に宿る情熱を肌で感じてもらおう、という一つの賭けに出るということでもあります。獅子座の人というのは、批判に弱く、傷つきやすいくせに、やせ我慢を決め込みたがるという、なかなか面倒臭い人種でもありますが、だからこそ今週の一歩には大きな価値があるのです。体を張るべき理由を、今一度思い出そう。

・己を鏡に問うべし
天龍源一郎というプロレスラーを知っていますか?昨年65歳で現役を引退するまで、同年代のレスラーのほとんどが引退するか、解説者に回る中、つねにリングで活躍し続けてきた、日本プロレス界の「生ける伝説」です。彼には『天地に愧じず(はじず)』という著書があり、その帯には、「男は闘い続けなければならない。常に前進するタフネスを身につけるにはどうすればよいのか。天龍源一郎の激しい生き様が、闘うことを忘れた男たちに、真っ向勝負の大切さと、男の誇りについて問いかける」とあります。著作名にもかかっている孟子の言葉「仰いで天に愧じず」とは、「心にも行いにもやましいことが少しもないのなら、天に対して何ら恥ずべきことはない」の意。なお彼は引退の際、「妻の病気で、今度は俺が支える番だ」と述べましたが、彼の踏み出した一歩はまさに今週の全獅子座人が見習うべきでしょう。

・今週のキーワード
光を浴びる、安全領域から一歩踏み出す、天龍源一郎、「仰いで天に愧じず」、体を張った賭け

▼乙女座

神隠しへGO!」

逢魔が時
今週の乙女座は、普段ならあまりまとうことのないような、「スキャンダラスな空気」に包まれています。日頃行き来している日常空間からフと道を逸れ、見慣れない路地裏や非日常への扉の先へ、思わず歩を進めてしまうかも知れません。あなたも“箸が転んでもおかし”かった思春期の頃に戻ったように、いつもの帰り道がどこへ通じ、両足はどこへ向かうのか、自分でもコントロールできないような状況を、どこか楽しんでいるところがあるでしょう。夜道でふいに三叉路に出会った時の、不安と期待が入り混じったような、なんとも言えない気持ち。「まだ名前のついていない感情」。そうしたものをエネルギーに変えることで、少女は巫女となって異界と交信し、放課後の誰もいない教室で未来をひとり占うのです。

・魔が差す
少女にとって少年とは、自らを異界へ誘う「異人」であり、触れると自分がすっかり変わってしまうような、きっと最後まで分かり合えないような、胸のうちに期待と不穏を同時にをもたらす存在。彼らの手を取るか離すか、それは丁か半か、吉と出るか凶と出るか。今週の乙女座の行く末を左右するのは、そんな「性なき恋愛」です。それは友情の延長なのか、ただ純粋な「好ましさ」なのか。はたまた、日常の現実とは異なる次元で展開される一夜の夢のようなものなのか。例えば柳田國男の『遠野物語』には次のような一文があります。「遠野郷の民家の子女にして、異人にさらわれて行く者年々多くあり。ことに女に多しとなり」。おそらく少女たちは少年に導かれ、これまでの日常からは見えなかった新しい居場所を見つけ、そこへ移っていったのでしょう。関わる人間関係が変わり、目に映る景色や住む世界も変わってしまえば、それはこれまでの日常から「神隠し」にあったも同然なのですから。

・今週のキーワード
日常に潜む非日常、大分麦焼酎「二階堂」のCM、未来を占う、『遠野物語』、性なき恋、日常の景色が変わる

▼天秤座

「バトンをつなぐ」

・忘れていたピースを探す
今週の天秤座は、「さりげなく伝えられた大切なメッセージ」に、気が付くかスルーしてしまうか、その危ういラインに立っているような星回りです。このメッセージというのは、過去に人から言われた言葉だったり、本で読んだ一節だったり、以前買っておいたモノだったり、形は人それぞれでしょう。大事な点は一度忘れていたものであること。こう書くと、まるで「雲をつかむ」ような話に聞こえるかも知れませんが、もしあなたが、ここ最近「別段間違った選択はしていないと思うけれど、なんとなくまだ決定的なピースが埋まっていない」ような、何とも言えない心許なさを感じているなら、メッセージを探してみてください。うまくいけば、バトンをつなぐような感覚を通じて、この秋自分が下した判断やなんとなく取った選択に一本筋が通っていくはずです。

・心許なさをごまかさない
「弟子が準備できたとき、師は現れる」という言葉がありますが、占星術家ディーン・ルディアはその続きとして「師は必ず偽装する」という言葉を付け加えるべきだと述べています。これは、「どこが好きなの?」と聞かれてスラスラと答えられるような「好き」は、本当の「好き」かどうか怪しいものだといことです。天秤座の人って、何をしてもどこかスマートさが漂うのですが、「師に逢うては師を殺せ」という禅の公案くらい、今週はそんなセルフイメージをバッサリ切り捨てるくらいの覚悟が必要かも知れません。その場ではうまく言葉にできず黙ってしまったとしても、後になって突然パッとわかったり、腑に落ちることがありますが、「メッセージ」も頭で考えた偽装がとれて初めて、ひらめくようにやって来るものです。心許なさをごまかさず、自らの内なる対話に意識を向け、じっと耳を澄ますよう、どうか心掛けて。

・キーワード
『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』、メッセージボトルを開ける、「師に逢うては師を殺せ」、内なる対話

蠍座

「心にモナ・リザの微笑を」

・不動の座につく
今週の蠍座は、自らの肩書きやポジションについて、まだ曖昧なその輪郭を明確に描き出すチャンスが与えられます。いま自分が引き受けている役割や目指すべき方向性が、本当に自分の身の丈にあっているか、そこで得られるものは本当に必要か、こころが喜んでいるか、よくよく自分自身に問いかけてみてください。分不相応な看板は、自分という人間そのものの存在価値を測るためのこころの声を小さくしてしまうだけ。そうならないためには、自分の器以上のものは外から取り入れず、その器をすでに満たしているものをまずきちんと感じきること。それが、自らが選んだ運命に対する受容のサインとしての微笑となり、あなたがセンタリングするべき不動の座となっていきます。『モナ・リザ』の絵を見た人は誰もがまず最初に不可解さを感じますが、程なくして、それは描かれた女性の表情にまったく「媚び」がないからだということに気が付きます。

・輪郭線と含み
蠍座の人というのは「沈黙は金」ということを本能的によく知っています。ですが、今週に関してはあなたが何を大切にし、どんな確信を抱いているのかを、こころで感じるだけでなく、人に伝えるための言葉に変えていってください。言い方を変えれば、「感情の深さだけではダメ、明晰な思考と結びつけて」ということ。思えば『モナ・リザ』の作者レオナルド・ダヴィンチも、アートとサイエンスの垣根を超え、感性と理性を統合できた人でした。深い情熱の持ち主というだけでなく、極めて客観的に己を律することのできる人物だったのです。「明晰さ」。すなわち、不安や恐れや疑心など、こころの中の不純物をキレイに振るい分け、できるだけ上澄み部分を掬いとって言葉にするだけの冷静さを持てるよう、どうかあなたも心がけて。こぼれた微笑が最上の言葉へと変わりますように。

・今週のキーワード
自然にこぼれる笑み、表面張力、レオナルド・ダヴィンチ、心理学的な統合の試み、上澄みを掬う、MEISEKI!

▼射手座

「摘んだ花を手向ける」

・終わり際の作法
今週の射手座は、先祖のお墓にお供え物をして静かに手を合わせることで、結果的に見えないところで帳尻が合ってくるような、そんな星回りです。おそらくあなたは今、ひとつのサイクルの終わり際に来ていて、その踏ん切りをどうつけるかが問われている。もちろん、行儀や礼節など気にせず、さっさと次のサイクルや新しい景色を楽しみ、前に進んでいくもよし。ただ、「自分はどうしてここまでこれたのか」と胸に手を当てて考えてみたとき、いつかの思いがけない幸運や誰かの善意が浮かんでくるのなら、そこで一度立ち止まるようにしてください。あるいは表層の時間の流れとは別の、深い静かな流れの中で、私という現実を夢見ているもうひとりの<私>へ花をお供えするような、そんな時間を持つのもいいでしょう。

・枯れないうちに花を摘もう
ノブレス・オブリージュ(直訳すると「高貴なるものに伴う義務」の意)」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。単純に受け取れば、既得権益層たるもの、持たざる者や自分より恵まれていない人に施しをする責任がある、ということなのですが、今週のあなたにとってこの言葉は先の解釈と少し異なる意味で重みを持ちます。それは、自身の体験から得られる教訓や戒めをきちんと「刈り取り」「摘む」こと、そして、手元に残すものは必要最低限にとどめ、それ以外は分配することに対する義務です。誰かの善意が、他の誰かの元に届くように。繰り返しになりますが、もしあなたが「私は自分の実力ひとつでここまできた」と言い切れるならば、ここでそんな義務を負う必要はないでしょう。ですが、ひとつ心を鎮めるつもりで、どんな花を摘むべきか、どこにそれをお供えするのか、1時間でもいいので、時間をつくって考えてみてください。

・今週のキーワード
ノブレス・オブリージュ、現実は個人的か集合的か、「お手手のしわとしわを合わせてしあわせ」、なぜ人間は死者へ花を供えるのか

山羊座

「語れ、生き延びるため」

・風に抗う(あらがう)
今週の山羊座は喧嘩上等。強い魂を胸に、今後の一連の行動の仕方を決め、淡々と実行していく胆力が試されそうです。日本社会というのは、何か不祥事が起こると糾弾されて辞任に追い込まれるか、土下座をして謝る、あるいはそうならないよう、徹底的に空気を読んで同調圧力に馴染むこと、これすなわち生き延びる知恵なりといった風潮がかなり強く存在します。ですが、空気を読むこととそれに流されることは本来まったく違うはず。もしあなたが今少しでも、ひとりの人間として確保されるべき権利や尊厳が侵害され、踏みつけられているのなら、あるいは、そうした過去の自分と重なる他者が目に映っているのなら、アラートを立てましょう。非常事態を告げるベルを鳴らしましょう。口をつむぐのでなく、生き延びるために語りかけましょう。

・敵の懐に飛び込む
とはいえ、さっさと特定のコミュニティーとの縁に見切りをつけたり、生きづらさを生み出した構造をくだらないものと切り捨てるだけでは片手落ちです。むしろ、その内側で求められる「役割」を完璧に演じ切り、そのために必要な投資を算定し、周囲へいかにそれを訴えかけるか、といった自分や目に映る他者の生存戦略を徹底的に考え抜くことが、現在のあなたの課題。太平洋戦争開戦直前の日本で諜報活動に従事したソ連スパイ・ゾルゲのごとく、警戒心とコミュニケーション能力と交渉能力をフルに発揮して、ロジカルかつ具体的な活動プランを練り上げ、生き延びるための道を模索してください。必要な情報の集積と、クリアな思考の両者がそろって初めて、インテリジェンス(生き延びる能力)なのだということをゆめゆめ忘れずに。迷ったら、敵の懐に飛び込もう。

・キーワード
喧嘩と胆力、インテリジェンス、リヒャルト・ゾルゲ小池百合子氏の好みのタイプは「ケンカが強い人」

水瓶座

「不敵な笑みを崩すなかれ」

・目はまだ死んでいない
今週の水瓶座は、マンネリ化したパターナリズムや居心地の悪いカテゴライズ、くたびれたレッテルとどれだけ縁を切れるか、その本気度に焦点が当たっていきそうです。ただし注意しておきたいのは、それらと完全に縁を切ることはできないし、また華麗に“自由”を勝ち取る夢物語は人をダメにする、ということ。60年代ハリウッドの名作『大脱走』でも、スティーブ・マックイーン演じるヒルツ大尉や他の捕虜たちがドイツの捕虜収容所から脱走を試みますが、自由への期待が大きすぎる者は一度の失敗で錯乱し、命を落とすか、完全に諦めてしまう羽目に陥りやすい。一方のヒルツはこれまでに脱走回数17回、他のまだ目が死んでいない捕虜たちも軒並み回数が多いことが分かります。みな一度は脱走に成功しても、ほどなく連れ戻されて、ということを何度も繰り返してきたのです。

・懲りずに続ける気概を育む
大脱走』の印象的なシーンの一つに、脱走に失敗して連れ戻されるたび、ヒルツが独房に座りながらコンクリートの壁に向かってキャッチボールをするシーンがあります。何度も何度も響くボールの音。そして、不敵な笑み。まるでこうなることなど最初から織り込み済みだったと言わんばかりに……。それを強がりだと、あるいは脱走作戦そのものを無駄なことだと言う人もいるでしょう。それでも、やはりあの不敵な笑みを見ると、彼がその瞬間、誰にも支配することのできない「不屈の魂」の感触をグローブ越しに感じていたのではないかと思わざるを得ません。自由の実感だけは忘れないよう、囚われの身を甘受することなく、今週も懲りずに脱走を図るべし。

・今週のキーワード
大脱走』、アンチヒーローとしてのスティーブ・マックイーン、壁とキャッチボール、不屈の闘志

魚座

「しぶき飛ぶダムの放水のごとく」

カタルシス
今週の魚座は、ようやく「タガを外す」チャンスが出てきそうです。自分のやりたいことを堂々と始めていく人もいれば、恋にのめり込む人もいるでしょう。ここしばらく、周囲や特定の相手がどう出てくるかを気にして、あるいは自分の中でまだ準備ができていなかったがために、思い切った態度や言動に出れずにいた人も多いのではないでしょうか?そうであればあるほど、今週は堰を切ったように行動力や情熱に怒涛の勢いが出てきます。ただしそれが外野を無視した自己満足となるか、むしろ周囲に対し勇気を持って自分の立場や心情を明らかにしていく方へ転ぶかは、あなた次第。既に心の中に溜まったイメージをどれだけ「神聖なもの」として感じられているか、その一点によって決まってくるでしょう。心してください。

・自分の主観を最優先する
スティーブ・ジョブスが2005年にスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチは、とても有名なものなので、見聞きしたこともあるかも知れません。余裕があれば、魚座の人は今週の始めか、タガを外す前に、今一度彼の言葉に耳を傾けるといいでしょう(親切な人たちが和訳文をネットにあげてくれています)。ジョブスはそこで、「たまらなく好きなものを見つけなければならない」と繰り返し語りました。あるいは「何かを信じなければならない。直感、運命、人生、カルマ、その他何でも。この手法が私を裏切ったことは一度もなく、私の人生に大きな違いをもたらした」、「自分の心と直感以外はすべて二の次」であり、そして「点はあとになってつなぐことしかできない」と。夜空の星座もまた、最初の点が人の想像力によって打たれなければ、線がのび、像を結ぶこともなかったはず。遠慮は無用、余すことなく自らを一点に注ぐべし。

・今週のキーワード
ダムの放水、「たまらなく好きなもの」、果断と神聖、スティーブ・ジョブススタンフォード大学卒業式のスピーチ、点を打ちこむ

月の童子

空気が秋に変わった。昨日の朝日カルチャーセンターの講座では日本における月神観念の変奏譚を取り上げたのだけれど、考えてみれば8月は月の話ばかりしていたような気がする。

月について語るのは、生命のあやうい均衡が保たれ破られる、父母未生以前の密閉空間へ、後ずさりして跳ぶ感覚に似ている。

何度か跳んでいるうちに、性と生、死と生まれ変わりの豊穣と残酷とを人間にもたらす元型的な“野生の女性”ないしグレートマザーとしての月神の姿とは別に、しんとした寂莫のなかで孤立と落ち着かなさを抱えて戸惑い、泣いて漂っているような“童子”としての月神の相が出てきたが(例えば沖縄本島に伝わるわらべうたで歌われる「アカナー」など)、長い時間の中で月が次第に地球から遠ざかりつつあることを考えれば、後からそれも当然だろうと思えてきた。

地球に放って置かれて在ることに対する遊星的失望と茫然。月から時がこぼれ落ちて、差し伸べた両手の間をすり抜けては地上に散らばっていく。童子はどこかでそれが空しい試みだと分かっていても、風に撒かれた月の痕跡をたどっていこうとする。その健気さと、かなしさと、真摯な探求、飢え。こういう月についても、もっと語っていきたいし、語りを通してもっとブッ跳んでいきたい。

そういえば、アメリカに渡ったばかりで二十歳そこそこだったディーン・ルディアに仏教を指南したとされる禅僧の名前が佐々木指月と言った。彼は興味深い交友録を残していて、デジタルアーカイブで読めるものに目を通していくと、二十世紀の大魔術師アレスター・クロウリーとの交友の描写が出てくる。クロウリーは『ムーンチャイルド』という小説作品を残しているが、まさに彼自身がムーンチャイルド、月の童子だったのかもしれない。

指先に月は見えるが、にも関わらず決して手は届かない。物理的にも地続きではない。いくらロケットを飛ばして、月面に国旗を立てても、それは童子が探し求めていた月では全然ない。重力に支配された人間中心主義のリアリズムとは隔絶したところに浮遊する観音様。それが月。ツキツキツキ。

月の記憶は断片的なり。


追記

「月の童子」という名前のサボテンがあるそうだ。
下記のブログがとても参考になった。

http://shabomaniac.blog13.fc2.com/blog-entry-1.html

草原に散らばっているが、ありそうな場所にはなく、近づいても出会えない。
まるで源氏物語に出てくる箒木そのもので、笑ってしまった。

火はまだ消えていない/『光る闇・冥府の月』後記





リオオリンピックにすっかり夢中になって、だいぶ日が空いてしまったけれど、8月11日の「光る闇、冥府の月」はお蔭さまでたくさんの方々にご来場いただき、無事に終えることができた。ほかの出演者や、会場でお手伝いいただいた方々ともども、とてもいい時間を過ごすことができたのではないかと思う。関係者には心から感謝を捧げたい。

以下、公演の前後になんとなく考えていたこと、いま書いておきたいことを記す。

何回目かの公演の打ち合わせの帰り道、ふと高校生のころ、国語の授業で「自殺とは想像力の断絶のことだ」といった教師の姿が印象的だったことを思い出していた。その後自分は占星術を学んで、実践するようになって、そこで語られていることが徹頭徹尾サイクル論であることが分かってくるにようになるにつれ、たえず循環し巡っていく宇宙の円相は、人の頭ではなかなかその通りに捉えきれないことも分かってきた。

うっかりしていると、日々の現実と同様、宇宙もまた、過去から未来へと延びる退屈な直線に固定化されがちで、せいぜい八方破れのかすかな破線でその本来の軌道をたどるのが関の山であること、それも多くの場合すぐに忘れ去られ、現実の慌ただしさの中で自分自身の在り方もまた再び直線化してしまうことなどを色々な場面で痛感するようになってきた。そういう意味では、やはり人間は緩慢に自殺する生き物なのかも知れないし、ここのところ占星術のやっていることも破綻しきった線をあてどなくなぞるだけの徒労に過ぎないのではないかと感じることもあった。端的にいって、想像力が断絶しかかっていた。

半ばそれを跳ね返すようなつもりで、公演の冒頭、空高くあがる半月の図像を投影するとともに、古くから韓国の海岸部に伝わってきた歌と踊りの原始集合芸術である「カンガンスルレ」の音声を流した。日本でいうお盆の時節、月のあがった晩に女性たちが円陣を組んで、夜通し踊り続けるのだという。彼女たちにとって月は自分たちの肉声と恨(ハン)を聞いて受け止めてくれる先祖であり、祈る対象であり、そして共鳴し一体化することによって自分を解放してくれる導きの糸でもあった。それがどこへ繋がるか。8月11日の真夏の半月の晩も、それは身体の動きに、踊り手に任され、昇華されていったように思う。

公演を終え、結果的には、人の想像力はまだまだ捨てたもんじゃない、と自然の背筋が伸びるような感覚が改めて自分の中に湧いてきた。天体、月、星をめぐる「舞」と「星読み」、「切り絵(境界剪画)」のコラボが講演のテーマだったが、踊り手も語り手も作り手も、何をどうするべきか真剣に悩んで、そこに何がしか相感じあうものがあったからこそ、作為を超えた展開の妙や不思議さ、怪しさおもしろさが、ぎくしきゃくとした齟齬や緊張によって生じる隙間を埋めるように湧いてきてくれたのだろう(そういえばリハではかみまくり、固くなって全然うまくしゃべれなかった)。

人が集い、場が開け、月星を語り、影絵が映され、人が踊る。そこでなぜかは分からないけど、気持ちがゆらゆらして、伸びやかになった。星も踊りも、今回は影絵も一緒になって、くるくるくるくると回っていた。円を見るとき、視線の軌跡は自然と螺旋を描くそうだが、あの時あの場では、自らを貫く直線はゆるやかなカーブを描いて、月の向こうの彼方遠くをへ回り、後頭部のどこかへ戻ってきているような感覚が共有されたような気がした(これを“思い当たる”とも言う)。そういう感覚が集団で共有された場は、なんとも言えない磁力が宿る。無数の円相、無数の中心、至るところにある渦、その気配……。

それは一つの終わりを暗示する、死のある世界。同時に、そこになにか明るく深い、透明な萌芽のようなものを感じて(もののけ姫ダイダラボッチってこんな感じなのかな)、また絶えることなく生きていけるという感覚を得たのかも知れない。これも土星海王星の相克から生じてくるものの一つだろうか。

ただ少なくとも、そうした“感じ”というのはイデオロギーとして、自分を棚上げにした議論の中で確認されるものでは決してない。あくまで中心に自分を置いたコスモロジーを通して感じあい、交歓しあうものだ。おそらく、それこそ占星術にかかわる者が目指す恩寵なのだろう。そして人とタイミングとが共にそろった舞台では、そこに一瞬光が当たる。電子や光が、人に観測されると、波がちぢまって粒子としての姿をあらわすように。

いまはもう、粒子が再び波となって広がるように、それも闇の中へと消えていったけれど、祭りというのは本来そういうものだ。時が移ろい、人や関係性は変わっても、いずれまた舞台は整う。きっと自分もまたそこに出会える。想像力の火はまだ消えていない。今そんな気がしている。


『光る闇・冥府の月』~GIFT vol.3~
開催日:2016年8月11日
場所:Half Moon Hall
出演者:
Emine(踊り)
香織(舞)
Yoshika(dance)
SUGAR(星読み)
杵淵三朗(境界剪画)

写真:
Macoto Fukudaさん
唐亨さん
山下潤さん

8・11公演の『光る闇・冥府の月』について

下記、facebookイベントページより詳細を転載しております。

                                                                                                • -

『光る闇・冥府の月』~GIFT vol.3~


GIFTプロジェクト第三章。
テーマは、「天体」、「月」、「星」。
踊りと、星読みの二部構成です。

外に広がる天体の宇宙と、
内に広がる人体の宇宙。
互いは呼応し、絶えず変化している。
満ちては欠け、欠けては満ちを繰り返し、螺旋を描く。
この日の星を読みとき、踊りに投影します。

八月十一日は
雲間から太陽が現れるように、
新たな扉が開かれる日。

星を知り、自分を生きる。

上弦の月夜。
星に導かれ、新たな扉を共に開きます。



出演:
Emine(踊り)
香織(舞)
SUGAR(星読み)
Yoshika(dance)
杵淵三朗(境界剪画)

イラスト:She Who Is


∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

日にち 2016/8/11(祝日)

会場 『Half Moon Hall 』
(下北沢駅から、徒歩8分)

開場 17:15
開演 18:00
閉場 20:00
参加費 (席+1ドリンク)
 前売り券:3000円
 当日券:4000円

ご予約: https://ws.formzu.net/dist/S50796510/

お問い合わせ:
meifunotuki@gmail.com
(メイフノツキをローマ字表記)


ご予約は、事前振り込みとさせて頂きます。
確認のとれた順に予約番号をお知らせします。

席が限られていますので、早めにご予約ください。
前売り券の受け付け締め切りは、8/8(月)までです。



Half Moon Hall 』
〒155-0031
東京都世田谷区北沢4-10-4
アクセス:
小田急線、下北沢駅から、徒歩8分(小田急線、京王井の頭線)
東北沢駅から、徒歩6分



主催:GIFT Project

人はなぜ空想を現実として知覚するのか

先日、受講者の方から講座が終わった後に「太陽と月(の占星術的な解釈)を自分自身そのもの、ないしそれに近いものだと思い込む傾向にあるのはなぜか?」という質問を受けて、その場であまりうまい返答ができなかった。そのことについて、整理がてらここに少し書いておきたい。

太陽と月は、太陽系宇宙の見かけ上の動きの中に人間の本質や人生の諸相を見出す占星術の中心概念であり、解釈的には公的な顔(太陽)と私的な顔(月)の両面を表すとされている。けれど太陽も月も、当然といえば当然のことだが個人の所有物(もの)ではない(他の惑星も同様)。より厳密に言えば、それらは“私ならざるもの”であり、「なぜかは分からないがそうしてしまった」という風に“私以外のもの”が“私”の中に入ってきてしまう事態(こと)であると言える。つまり、“私”とは他ならぬ私であるはずなのに、実際には多くの瞬間で“私ならざるもの”とともに生きており、開かれている。しかし、どこかしら固定しなければ“私”という気付きもまた生まれてこない。これが一筋縄ではいかない“私が私であること”をめぐる根本的なジレンマのややこしいところであり、面白いところでもある。

そもそも「太陽と月(の解釈)こそ私そのものである」といった言い方の何が問題なのかというと、理屈以前に“息苦しさ”を強めてしまうからだ。二つの天体とその組み合わせに一定の自己同一性をもつ「私らしさ」を据えれば、安定した生活や充実した対人関係を築いて“身を固め”たり、“大人になる”ことの助けにもなる。ただし、あまり身を固めすぎると、用意された型にハマり過ぎてかえって潰しがきかなくなるということが起きてくる。もちろん、かと言って自分にかまけてばかりいれば世に出ることもできないが、息苦しさが次第に極まってくると、おのずと人生の道行きも途絶え、行き詰まっていく。現代において、息苦しさから解放されようと人が占いや占星術を参考にするのだとすれば、これでは本末転倒だ。

行き詰まるタイミングや形式はケースバイケースだけれど、大抵は、自分と異なる価値観の言葉や人間、あるいは築き上げた“私の王国”を相対化するような問題群を遠ざけ、排斥・封殺し、いつの間にか自分に都合のよい言葉だけを探し、語られざる/隠れた真理をそこに還元・制御するようにして自己正当化が進んだ結果、墓穴を掘るようにして起こっているように思う。自業自得なのだが、その大元にはオイディプスのごとき傲慢(hubris)があるのではないか。人は生きている限り、安定した自己同一性へと安らおうとする。それどころか、自存のためなら手段を選ばないところさえある。凄まじき自己防衛本能のとりこであり、その傲慢さこそが時に人を英雄や超人にも仕立て上げてきた一方で、同じ分だけ、あるいはそれ以上に当事者の想定をこえた悲劇をも生み出してきた。

こうした傲慢さ(hubris)が真理と対立しつつも、深く結ばれるようにして在るように、自己同一化した生き方のハマりこんだ自己完結や既存の定義付けが、生の、そして私の語られざる/隠れた側面(真実)によって異化され、圧倒(無化)されつつ、挫折やゆらぎ、反転逆転によって破られることを、人は恐れつつもどこかで求めている。そして凄まじき傲慢の“破れ”を通して、固定された私を中心とした閉鎖系としてのコスモロジー(息苦しい存在状態)が開け、大きく息を吸い込み、いのち(意の乳)を養うことができるようになる。風がふき、息が続き、思いがけない方向から物語の続きが紡がれ、狭い自己限定や生の有限性が過ぎこされてゆく。

考えてみれば、個人的にもそうした“破れ”の経験について物語ってくれた人物との出会いが、占いを始めることになったきっかけだった。作家の車谷長吉が、「生が破綻した時にはじめて人生が始まる」と書いていたのもこういうことかも知れない。占星術を通して私や他者の在り方を語る言葉も、語りえぬものからの問いかけや、圧倒される感覚を担い、己れの傲慢さを真摯に見つめるものである限り、逆説的に豊かさを内包するものになるのだと思う。

“私”とは傲慢さの度合いに応じて伸びるピノキオの鼻のようなものではなく、本来、生と死のはざまでゆらめく風や、吹きわたる息吹、流れの交錯する十字路のようなものとして、あるいは宇宙の片隅のささやかな吹き溜まりのようなものではないか。そうしてたえずゆらぎ、そよぎ、漂泊しているからこそ、「私」は親と子、男と女、生と死、自我と時空の境界を越えて、むすび、つながってゆける可能性に開かれている。

そういう視点で見てみると、やはり太陽と月は、私そのもの(実体とそこにヒモづく属性)と言うより、傲慢さや息苦しさにハマり込みがちな“私”の自己同一性を解消せんと働きかけ、見守り、真理の響きを時に葉を揺らして伝えてくれる遊行柳のような古木であったり、先祖や親の想いを伝える水面の波紋として映じてくる。私はそうして“私以外のもの”に脅かされたり支えられたりしながら生きているが、だからこそ、あくまでそれに気付いて、生きた思いを結晶化させていくのは、現にいまこここにある地球上の私自身なのだ。

願わくば、人や運命に翻弄されないよう、あるいは馬鹿にされないために生きるのではなく、真理の響きにさらされつつも、己れの傲慢の滑稽さを笑い、出会った人に笑ってもらえるような自分でありたいし、そこから語っていくのでなければ、と思う。