牡羊座7度:さかい目ばあさん

ここのところ目先の作業に追われ、すっかり更新が滞ってしまった。
できれば週2くらいで更新していきたいところ。

牡羊座7度:さかい目ばあさん

【Jonesシンボル】「A man successfully expressing himself in two realms at once(二つの領域で自分をうまく表した男)」
【Jonesキーワード】PROFICIENCY 熟達/融通無碍

5度と6度は、遊牧民と農耕民のそれぞれの特徴のようなものをよく表していたが、7度では、どちらが優れているかというところから一歩進んで、「二つの世界」「二つのスタイル」のどちらも自由に行き来しているイメージが出てくる。

ネットでは未だ「ノマド」がバズってるみたいだけど、その一方でこの記事のように、正社員/農耕民と、ノマド遊牧民の二者択一の二元論で話を進めることに違和感を抱いて、「求められているのは正社員とノマドの中間解」というような中立的な意見も大なり小なり出てきている。これは至極まっとうな流れだろうし、図らずもサビアンもそうなっている。

ただ、例えば河江肖剰さん@yukinegyここで言っているように、考古学的にはむしろ、遊牧というか、狩猟採集社会から農耕/定住社会に移行したことの方が謎(農耕社会の黎明期は人々の生活が改善どころか改悪された)という意見もあり、正社員/農耕民/定住型社会の中で
人柱化するような働き方や、定住型生活のメリットを改めて疑うという視点はやはり興味深いし、
自分も含め、そこで思考停止している大多数の人への脱-洗脳には一定の効力があると思う。

ジョーンズは、このシンボルは暗に
"必要な際には自由自在に変化を許容しシフトチェンジできる柔軟性”を表わしており、
その点こそ人類が低次の生物から区別される創造的側面と述べている。
まぁ低次うんぬんは一旦置くとしてもキーワードのPROFICIENCYの熟達というのは、
こういうシフトチェンジにおける堪能さだと思うし、日本語でいえば「融通無碍」だろうか。

ネットで調べみると、融通無碍は2つの言葉の組み合わせで、
"仏教では、異なった別のものが一つに解け合って何ら障害もないことを「融通」という。
また、何の妨げもなく他のものを拒否しないことを「無碍」という。"
らしく、対語に「四角四面」(6度)が当てはめられているのも、そのまんまという感じでちょっと笑ってしまった。

以下、そんな「融通無碍」な感じを表わしてるのかなと思えた、
加島詳造さんによる老子の道徳経第二章「養身」口語訳を抜粋。
(『タオ 老子筑摩書房、p7-9)

美しいと汚いは、
別々にあるんじゃあない。
美しいものは、
汚いものがあるから
美しいと呼ばれるんだ。
善悪だってそうさ
善は、
悪があるから、
善と呼ばれるんだ。
悪のおかげで
善があるってわけさ。
同じように、
ものが「在る」のも、
「無い」があるからこそありうるんでね。
お互いに
片一方だけじゃあ、在りえないんだ。

(中略)

だから
道の働きにつながる人は
知ったかぶって手軽くきめつけたりしない。
ものの中にある自然のリズムに任せて
手出しをしない。
すべてのものは生まれでて
千変万化して動いてゆくんだからね。

世間でふつうに生きている場合、前向きに生きるとか、正義を胸に善を成すこと、
美しいものに触れるといったことが肯定的な価値として捉えられがちだけれど、
この7度の融通無碍では、そういう区別なんて本当はないのかもしれない、
というところまでいったん降っていった上で、境界線の上をゆらゆらしている。

そういう意味では、最近ユリイカの魔女特集号で知った、
児童文学作家の角野栄子さん(『魔女の宅急便』の原作者)
の書いた『ハナさんのおきゃくさま』に出てくるさかい目ばあさんなんて、本当にまあ融通無碍だろう。

もともと彼女はハナさんといって、連れ合いを失くしたあと、
森の始まりの、町の終りに建っている家を見つけて移り住む。
この家には森に向かってドアが一つ、町に向かってドアが一つついていて、
おもてなしを用意して待っていると、不思議なお客さまが次々と現われて、
ハナさんを驚かし、楽しませ、彼女ももてなしを楽しんでいるうちに、いよいよ
さかい目ばあさんとして森と町をゆるやかにつないでいく、そんな物語なのだ。

この物語について触れている著者の角野さんの言葉もすばらしい。

でも、このさかいめばあさんと書いたとたんに私はこの名前がとても気に入ってしまった。
境目っていうと、両方あるってことだ、二つ楽しめるってことなのだ、しめしめではないか。
びゅんびゅんごまの糸のように家から続く二本の道があるなんて、形として面白いと思っただけなのに、
この家をとりまく世界に何やら意味が生まれてきたようではないか、うれしくなった、
私の場合、作品の意味はこんな風にいつでもあとからついてくる。(『ユリイカ<魔女>特集』p41)

ドイツ語では魔女のことをヘクセと言うそうで、
もともと"垣根にのぼる人”という意味があるんだそうだ。
あっちとこっちのどちらも見すえ、ふらふらと垣根にのぼって歩いてみる。
自分もそういう遊びを、子供の頃にしていた気がするが、
案外みな一度はやってみたことがあるんじゃないだろうか。
そういう記憶も、このシンボルが指し示しているものの一つだろう。

ポジティブな状態:何モノからも自由でいられる特別の才、タオ的、融通無碍
ネガティブな状態:知性に欠いた、単なる興味の分散による、才と時間の無駄遣い

ハナさんのおきゃくさま (福音館創作童話シリーズ)

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タオ―老子 (ちくま文庫)

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