誠実な詐欺師
最近ねむくてねむくて、正直このブログの存在も忘却の彼方へ流しかけてましたが、
季節も春になってきたので、重い指をずりずりと這いずり回してまた更新していこうと思います。
とりあえず先日、本の書評を「夜間飛行」さんに書かせてもらったので、
勿体ないからそれについてポチポチっと触れておこうと。
『誠実な詐欺師』(トーベ・ヤンソン)ブックレビュー
http://yakan-hiko.com/review.php?no=25
まず、この本の題名を聞いてドキリとしない占い師なんているんだろうか。
それは、いくら限りなく誠実にお客さんや占いに向き合えども、いや、そうすればするほど、
結局はあるかなしかの真実をどうしようもなくバイアスをかけて把握し、伝えている以上、
やってることは詐欺師と同じじゃないの?という皮肉が、西遊記の孫悟空が頭にはめられている
わっかのごとく、ギリギリと脳髄をしめつけてくるから。
※ちなみに自分なりの詐欺の定義は
①何らかの形で他人を錯誤に陥れた上で②自分に都合のいい意思決定を促し③不当に搾取すること
まぁそのへんのことをここでグダグダ書き始めると止まらなくなりそうなので、
この小説を読んで思ったことを簡潔に述べると、以下2点。
・自由意志なんてもんははたいていデフォルト眠っている
・食べ物をたべる描写が少ない小説は読むのにけっこう意志の力がいる
前者に関しては、「人間の意識は深く眠っており、機械のように生きている」という
グルジェフの言葉を思い出させつつ、改めて人ってそうだよな〜としみじみさせられたという点でも、
この小説のもつ独特の凄味というか、嫌味にちかい皮肉に通底している作者のもっとも強い主張だと感じた。
「運命の気まぐれと自己欺瞞」
「甘ったるい無意識の残酷さ」
「一方通行の安っぽい逃避」
こうした言葉で表現される事情が支配的であるという、変わらぬ人間の愚かしさと、
自由やそれに伴う意志の顕在という両極の対比に言及する際の作者の筆致は、
空恐ろしささえ覚えるほどだったし、
「幸福と自由は両立しない」
「意志と運は呼応しあう」
という個人的に関心のある2つのテーゼについて考える上でも、非常に示唆に富んでいた。
その一方で、やはり自分は"食べ物をおいしく食べる"描写の登場する小説が好きだ
ということも実感させてくれた。この小説は、まったくといっていいほど食べ物をおいしく食べるシーンがないが、
自分が小説に求める快楽の一つとして、生活に対する愛着、特に誰かと何かを「食べる」という行為によって感じる
「幸福」を再確認できるという点に、重きを置いているのかも知れない。
そういう意味では、憎たらしいくらいにストイックな小説だった。