呼吸と運勢

少し前に、毎日小学生新聞という日刊紙の取材があった。そのことについて少し書きとめておこうと思う。

子供向けに「運勢って何?」ということについてまとめたいので、占星術の立場からしゃべってくれという依頼。
もう一人気学の先生が東洋占術の立場からもお話されると聞いて、それなら気軽だし、何より面白そうだったので喜んでやらせて頂いた。

最初に、記者の方が「年始に占いに接した子どもも多いだろうし、何より、子どもは占いが大好きだから」と話していたのが印象的だった。
普段占い師として接しているのは大人のお客さんや仕事関係の方ばかりだし、自分が小さい頃から占いが好きというタイプではなかったからか、
あまりそんな風に考えたこともなかった。子どもは占いをどう見ているんだろう。あるいは、占いに関わる大人を。
改めて子どもの視線を思い浮かべながら、占いとの付き合い方について、きちんと語らなければならない、そんな風に思った。

考えてみれば、運勢って何?だなんて直裁な言い方で質問されることって、普段あまりない。
自尊心や羞恥心が強い大人というのはあまりそういうことを聞かないし、その場では知ったかぶりをしてくれたりする。
確かにいちいち聞かれるのは面倒だし、きっとそんなことを聞いたら相手に悪い気がしてしまうという遠慮もあるんだろう。
そういう相手や関係ばかりに囲まれているのは楽だけど、それだとあまり自分でものを考えなくなってしまうのかも知れない。

理屈や知識をこね回さず、これが運勢だよとパッと手を開いて、「ああこれがそうなんだ」って、
できるだけ体感的に分かってもらうとしたら、一体そこに何を置いたらいいんだろう?
寝る前と、それから移動中の電車の中で考えて、自分なりに出した答えは、「運勢は呼吸みたいなもの」だった。

以前、人の一分間の平均呼吸回数は18回なのだと聞いた。だいたい3秒に1回くらいだから、そんなところだろう。
とすると、60分と24時間をかけて、一日の呼吸数は25920回。それだけ言われると、かなり多いなぁとしか思えない。
でも、占星術を知ってる人間なら、それは馴染みのある数字だ。地球の歳差運動が一周するのにかかる年数。すなわちプラトン年。
分かりやすく言えば、春分点が星座をぐるっと回って、もとに戻るのにかかる年数。地球と宇宙の関係が一周する時間。
(今でも春分の日といえば牡羊座の始まりを指すのも、占星術ができた頃に春分点牡羊座に位置していたから。現在は諸説あるが水瓶座。)

とにかく、それと同じ数だけ、人は一日に息を吸ったり吐いたりしている。
人が呼吸しているように、宇宙も呼吸していて、それは不思議と人間のそれと呼応している。
同じように、太陽系の惑星も呼吸している。それぞれが独自のリズムを刻んで呼吸し、どこかで人はそれと息を合わせてる。
息がずれてくれば、苦しくなるし、息があってくれば、きもちいい。いのちは「息の内」。
それが機械の時間とは異なる星の時間で、運勢がいいっていうのは、そういう時間のリズムにうまく乗れているってことなんじゃないかな。
というのが、大筋の話。

そういえば、そんなことを考えていて、ふと思い出したことがあった。
昨年の秋、5年ほど働いた会社を休職したばかりの友達が言った一言。

「今まで色々悩んだり、沈んだり、不調感が取れなかったりしてたのも、ちゃんと呼吸ができてなかったからなのかも知れない。
とにかく病院いって、一時的ににしろ深い呼吸ができるようになったとき、これまで感じたことのない幸福感があったんだよ。」

こんな感じだったと記憶している。彼はずっと職場の空気が悪いと言っていた。それは人間関係の悪さの暗喩でもあったし、
実際に吸いづらい空気が漂っていたり、こもっていたんだろうとも思う。悩むと、転職の話をしたり、一緒に息抜きに行ったりしていた。
あと、もともと喘息持ちだったし、大学で哲学なんてやってたのも、呼吸ができないことへのもがきだったのかもとも言っていたっけ。

深い呼吸ができること、きちんと呼吸が継続すること。
この2つが大事なのかも知れない。


結局、出来上がってきた記事は字数の都合もあり、入門的な話となって考えたことの核の部分はあまり反映されなかったけれど、
占いと付き合っていくにあたって大切な勘所となるだろうポイントを、あらためて教えてもらったような気がした。
他にも幾つか思いついたり、話したことはあったけれど、とりあえず呼吸と運勢の関連については、今後も追っていきたい。