悲しみの分母(キローンの解釈について)

キローン占星術的解釈についての走り書きです。一般的な解釈とはズレてると思うので、あしからず。
(神話の登場人物ケイローンと惑星としてのキローンを区別するためここではそう呼ぶことにする)

「1977年に発見された新しい惑星の名前として命名されたケイローンは、ギリシャ神話における半人半馬の神であり、その優れた医術や癒しの術で知られ、また占星術を司り、多くの英雄の教育係として慕われていました。ところが、あるとき事件に巻き込まれ、誤って毒矢を受けてしまいます。神の血を分け持つ彼は不死身だったため、死ぬことも出来ず、まさに七転八倒の苦しみを味わいます。自身は多くの重症患者を癒しながら、自分だけは癒せない。まさに医者の不養生を地でいく話ですが、やがて彼は、自身の神性をプロメテウスに譲り受けてもらうことで、やっと死ぬことができ、ケイローンは天に昇って星座となります。」

少し前に射手座のコラムでも取り上げたケイローンの地上から天上への一連のプロセスは、心理的には古い自我の死と再生のメタファーであり、これは仏教的な意味での諦観や無常観にも近いんじゃないかなと勝手に思っていた。つまり「正直よく分からないなー」ということ。神だ不死身だとは言うけれど、さっさと死なずにもがき苦しむケイローンの姿は明らかに「人間的」だし、いくら偉い賢者や坊主でも、やっぱり自分の死は怖いだろう。それだけは他人事じゃないだろう。ははは、ざまあみろ。と思っていた。それくらい無理ゲーでしょ、執着なんてそんな簡単に捨てられるもんじゃないでしょ、だからこそ最後の展開がよく分からないなと、そんな風に思っていた。

それはよく占星術の本に書いてある、「キローンは目に見えない傷の象徴です」という説明の分からなさにも通じていた。
「目に見えない」って何ですか。死は明らかにそこにあるから、「目に見える」はずじゃないの?よく意味が、分からんぞ。

ただ最近、何が分からないのかが少しだけ分かったような気がした。
死なんてものは本当はない。「死後の世界がある」とか、そういうことじゃなくて、よく考えたら日々糧にしている死体は目にしていても、死そのものはどこにも存在しないし見たこともない。ただ言葉としてあるだけで、本当はだれも知らないし、定義もできない。寝ても覚めても、結局死ねない。痛い。だからむしろ死を設定したり、あることにして安心していたい。でもそうやって隠そうとすればするほど、痛い。そもそも死があると信じるから空隙を突かれるのであって、最初から信じなければいいのに。でもその不可解さに、人はなかなか耐え切れない。だから信じて怖がる。そうやって文明や科学は発展した。死を恐れなければいけない理由なんて本当はないのに。自分が存在しようがしまいが、宇宙は存在するし、死なんてどこまでも見当たらないのに。無が存在できないように、死は存在できない。少なくとも論理的にはそういうことになる。だけど、やっぱりそれだけでは割り切れない、ゼロにならない何かが残る。だから、現にこうやって生きてんのかなと。

論理は論理。生きてる事実はそれとは別、現実は現実。その割り切れなさを踏まえた上で、じゃあキローンがある意味って何だろうなと考えてみたときに、「悲しみの分母を感じること」のような気がしてきた。この「悲しみの分母」という言葉自体は、ずっと以前、友人でもある詩人の大和田海くんが何かで書いていたか話してくれたかで、内容を正しくは覚えてないけれど、簡単に言えば、人が自らの人生の中で感じる痛みや怖れ、その原因と見做される不幸や感情のさらに大元となっている“何か”、あるいは悲しいという感情の集合的な海のようなものを意味していたと記憶している。(ちなみにググってみたけど、それらしい記事は見つからなかった)

仮にそういうものがあるとして、その分子として「(人が実際に経験していく事実や現実としての)不幸や苦しみ」が存在する。そして、この割り算から導かれてくるのが「悲しみの表現」で、それは等記号によって変換され表現されることで人を癒していくのではないか。悲しみは混乱や動揺によって人のこころを壊しもするけれど、その分母を少しでも見つけて増やし広げていけば、すぐにはゼロにならなくても、打ち消しあう数と一緒にわだかまりや苦しみもほどけていく。ただ死ぬこともできず、不可解な宇宙に不可解に生かされてある人間はまったく不自由だけれど、少なくともそういうことを感じる自由は許されていると思う。だから、どんな人でも自分なりの悲しみの分母(キローン)を見出していけるということは、実はすごく幸せなことなんじゃないかな。みんな、もっと悲しくなればいい。それは個々の人間がそれぞれにとっての「癒し」を体験するための鍵になる。そんな気がする。


▽まとめ

・「生きてるうちに経験する苦しみや不幸/悲しみの分母(キローン)=悲しいという表現(=癒し)」

・分母が増えれば、たとえ分子は同じでも、悲しさの値は小さくなり、ラクになる。逆に分母が減ればそれだけ苦しい

・分母を増やすこと=悲しみの分母を感じること=キローンを使うこと