ひらさわさんの記憶

先日実家に帰った際、棚の整理がてら大学生時の日記を読み返していたら、ある時期に「愛すべきふつうのおっさん、ひらさわさん」という人物が頻出していた。

日記によれば、ひらさわさんは中学卒業後に上京し昭和33年に初就職、いじめが原因で1年で田舎に帰るも、矢も盾もたまらず1年で家出。
"元祖フリーター"になったそうだ。その後40年以上にわたる非正規雇用契約社員生活を送ってきたらしい。

初めてひらさわさんと会ったのは、駅前のマックだった。
別の日雇い労働者風の男とふたりで、ひらさわさんは血液型談義に花を咲かせていた。

「O型は目標がないと生きていけない」
「B型はすごい」
「AB型はピュアすぎて駄目」
「A型はバハが好き(バッハのことだと思われる)」

ひらさわさん自身が何型なのかは結局よく分からなかったが、ものすごい決めつけをしているなと思った。
でも、それはそう思うに至るまでの様々な体験の凝縮したエッセンスでもあったのだろうと、むしろ僕の関心をひいた。

ひらさわさんはよくランボーの話をしていた。
わずか20年で詩人生活を閉じ、37歳で武器商人として死ぬまで、長期間の、破壊的で計算された錯乱によって見者となった彼に、自分を重ねていたのかも知れない。

「日本はムラ社会だから、芸術家のことが分からない。みんな他人を基準にして生きてる。でも、詩人は人のマネをするようになったらおしまいだね。」
と言った時の、言葉とは裏腹のなんでもないような顔は印象深かった。

自分のことを
「顔はやくざみたいだけど、心はナイーブだから」
と言っていた、全然やくざ顔ではない、ひらさわさんの顔。
ずっと忘れていたけれど、最近ふと思い出していた。