サビアンについて、自分について

サビアンについて

私のライフワークの一つは、占いに関連するシンボル、特にサビア占星術と呼ばれる、
12星座をさらに細分化し一つ一つの度数すべてに、それぞれ異なる個性を短い詩文の形で与え、
言い表した360のシンボル体系の研究です。

もとをたどれば、1925年のアメリカ。
サビアンシンボルは、マーク・エドモンド・ジョーンズという占星術研究家が、
あるひ女性詩人と行ったほんの気紛れな試み(こっくりさんのようなもの)により生まれ、
その後70年代にディーン・ルディアという二人目の研究者によって本格的に整理・体系化されました。

現代の日本でも、直居あきらさんや松村潔さんらを初めとした占星術家により、
従来の研究を踏まえた上での独自の言及が著書や講座などを通じて為されていますが、
まだまだ、難しくてよく分からなかったり、スピリチュアルに寄り過ぎている、という印象で、
生きた意味を獲得されず、宙に浮いたまま彷徨っているように感じられることがあります。

先に述べたように、占星術サビアンは本来とても豊かなシンボルの世界です。
ただシンボルに満ちているということは、見方を変えれば、死骸に満ちているということ。
消費期限を過ぎて古くなっているものは、捨てて新しいものを入荷する必要があるし、
フィルターがかかりすぎてすっかり形骸化してしまったものは、それを外してやる必要がある。

私個人としては、改めて元祖であるジョーンズやルディアのシンボルを振り返った上で、
きほん意訳気味に、そして時にわざと間違って解釈する快楽にいそしみつつ、
ささやかながら、シンボルの幽霊に触れ、対話し、自分なりの落しどころを探っていく、
そんな試みをしていくつもりです。

自分のこと

ただただ不真面目で馬鹿馬鹿しいだけの遊び。
それなのに、惹きつけてやまない魅惑的なシンボル*1の集合体であり、
同時に、よく見ると非常に緻密に組み上げられた象徴体系でもある。

今思うと、そんなところが占星術を好きになり、
高じて仕事にまでしてしまっている理由なのだと思う。

僕はこの記事を書いている2012年現在、28才になる。
かつてはごく普通のサラリーマンをしていたけれど、
今では人を相手に占いをしたり、教えさせてもらったり、
文章を書いたりするのが生業であり、趣味でもある。
というか、
それ以外に特筆すべき事項があるような生活をしていない。

しいて言えば、ときどき友人と会って話したりお酒を飲んだり
ということくらいだろうか。これもありきたりですね。
とりあえず自分についてはそんな感じです。

*1:「明白で直接的な意味以上の何ものかを包含し、それ以外のものによっては表現できないもの」とユングは定義している