生存戦略としての牡羊座1〜5度


牡羊座初めの5度は、まだ人が「個人」という明確な枠を獲得する前に働く、
ほとんど自動的な生存のためのプロセスを表している。

  • 子宮との一体感(一種のトランス状態)
  • ミラーリング
  • 居場所づくり
  • 親(他者)との結ばれ
  • 失敗体験とがむしゃらさ

出生図でここに天体や感受点があるなしに関わらず、
この世に生まれてきた際、誰しもが無意識の内に通ってきた体験だと思うと、
どこか懐かしいような、恥ずかしいような、憧れるような複雑な感じがする。

このへんの度数を生きるということは、
世界へ自分のすべて剥き出しにし、投げ出していくということだから。
大人となった今となっては、それはとても怖いことだと感じてしまう。

そういう意味では、
個性を持つということは、自分を守るということを意味するのかも知れない。
歴史的にも、人類が「個性」という概念を獲得する以前の社会では、
ただ集合的な「関係性」ないし「神秘的即融*1」が存在していたであろうし、
そこでは当然、人が「守るべきもの」は個人や個性などではなかったはずだ。

かつてユングは『タイプ論』で、
「集合的な構えを取っている精神は、投影による以外には考えたり感じたりすることがまったくできない(p17)」
と述べていたけれど、それは自分を守るという構えを捨てた時にあらわれる、
人間のもつ弱さであり、強さであり、一つの得がたい体験であるという気がする。

いずれにせよ、そういう状態に置かれた人間が見ている世界には、
圧倒されるような宇宙的緒力のダイナミックな響きが万華鏡のように映っているのだろうし、
そういう人間を傍から見れば、さぞかし人間離れした、精霊のような存在感が漂っていることだろう。

牡羊座1度:妖怪アンテナ

【Jonesシンボル】「A woman rise out of water,a seal rises and embraces her(海から上がった女。アザラシがまだ彼女を抱いている)」
【Jonesキーワード】REALIZATION 具現/びくん(ピーン!)

起きたばかりの、ねぼけ眼。(※二度寝注意)
自分を呼んだのは一体ダレ?

牡羊座1度は春分点、つまり新しいサイクルの始まり。
ここでの“水”とは、子宮を充たしていた羊水であり、いのちの源としての海のことだろう。女性とアザラシはそれぞれ「目覚めようとする意識」と「眠りに戻ろうとする無意識」を象徴していて、その二つが拮抗しつつ、まだ夢と現の境界線上をフワフワしている胚芽状態の意識をこのシンボルは暗示している。(Wikiによれば、アザラシは特に潜水能力に優れた動物らしい。無意識への引き戻し役には最適と言える。)

そして注目すべきは、海からあがってきたのは男性ではなく、女性だという点。これは、ジョーンズによれば先行する男性的で意志的な力に「呼ばれて」意識が芽生えたことの表れだという。

言い方を変えれば、鬼太郎の妖怪アンテナの反応のようなものだろうか。妖気を感知するとピーンと立つアレ。どこか「母ちゃんが産んだから、仕方なく生きることになった」寺山修司的なあべこべ感覚*2にも通じる、妖怪アンテナが立っちゃったから、とりあえず現場(この世)に降るか、ってそんなノリに近いのかも知れない。

とにかくこうして、
12星座の出発点も自発的な意志からのスタートではなく、あくまで受身の状態から始まる。
考えてみれば、日曜朝の番組やアンパンマンに限らず、大抵は主人公であるはずの正義の味方という奴は、世界征服など明確な目的や目標を掲げる悪の組織と違ってなんだか受身だし、
明確な目標や計画性というものに欠けているように思う。
一瞬、これでいいのだろうかという疑問もよぎるが、いいのだろう。

ポジ:引き出し無限大である無意識との強い結びつき
ネガ:居場所が見つからない、曖昧さの中を漂う

牡羊座2度:ジミー大西

【Jonesシンボル】「a comedian entertaining a group(周囲を笑顔にするお笑い芸人)」
【Jonesキーワード】RELEASE  解放/パーッと動こう!とりあえず

鏡のように、ただただ周囲へ反応していく、純粋な真似っこ。
そして波のように周囲に自然と広がる笑み―

人の成長段階でいえば、まだはっきりと意識が芽生える前の赤ん坊。
ジョーンズはこのシンボルは「鏡」だと述べているが、確かに白雪姫に出てくる魔法の鏡でもない限り、鏡はただ目の前のもののありのままの姿を映すだけで、そこには何の意図も歪曲も介入しない。たださまざまなもの映していくだけ。

どこまでも素直にただただ目の前のものに反応していく赤ん坊の様子には、どこか、寝起きドッキリで垣間見える芸能人の素のリアクションの面白味に通じるものがある。

人物でいえば、ジミー大西だろうか。
芸人時代、萩本欽一に「このボケが意図的であればチャップリン以来の天才喜劇役者」と言われたそうだが、幸か不幸か、彼はまぎれもないド天然だった。wikiによれば、「天然ボケ」という言葉の由来も彼なのだという。

ところで、鏡は「神我見(カガミ)」とも表すことができる。「七つ前は神のうち」と言ったりもするけれど、ジミー大西に笑いの神様が降りているときというのは、文字通り、あの語りえない、イノセントなものが、”私”を通して表れ出ている状態なのかも知れない。

ポジ:遠慮なんて微塵もない自己表現と、そこから滲み出す人間的魅力
ネガ:常識が通じない、一般的な受け答えが困難

牡羊座3度:お札の肖像

【Jonesシンボル】「The cameo profile of a man in the outline of his country(建国の祖を描いた浮彫りの肖像)」
【Jonesキーワード】EXPLOITATION 開発/ガンガン感情移入しちゃうぜ!

ここは一体どこだろう?
よく分からないまま、自然とそれらに同調し染まっていく―

人には生まれ育った地域や文化、時代やお国柄に否が応でも染まる部分が少なからずある。
例えば東京育ちの方でも、関西出身の人と接する機会が多いと、ときどき無意識のうちにエセ関西弁をしゃべっていてハッとしたり、指摘されて恥ずかしい気持ちになった、なんてこともあるのではないだろうか。←

こうした、人がある程度自分の所属するコミュニティーの縮図となる傾向性について、ジョーンズは、コミュニティーへの非個人的な献身と、合意的現実にのっかっていくための個人的な生存戦略としての変装、という2つの面から捉えられる(※意訳)と述べているけれど、さもありなん。

環境に染められてしまうということは、実は自分から染まりにいっているということと表裏なのだと思う。つまり両親や境遇への適応は、幼児に制限や抑圧を強いるけれど、きっと同じ分だけ幼児も感情移入している。

元のシンボルにはカメオとあるが、現代で言えばお札の肖像のようなものだろう。
もちろん、お札に載せる肖像は偽造防止のためという目的もあるのだろうけど、それ以上に、国民に親しみをもってもらえる人物がその都度選ばれている面が強いであろうし。

財務省によると、お札は20年ごとに新しいものに変更するらしく、日本における肖像の移り代わりを見ていくと、戦前までは皇族やその側近、戦後は明治の政治家や二宮尊徳、80年代以降は学者や文学者、そして最近は初の女性(樋口一葉)が選ばれているなど、
まさに集団意識の鏡として、お札の肖像には社会情勢の変遷が如実に表れ出ていると言える。

ポジ:ムードメーカー、速攻で環境に馴染んで要求されるものを演じきる素質
ネガ:ステレオタイプへの呪縛、染まりやす過ぎ

牡羊座4度:最初の不倫体験

【Jonesシンボル】「Two lovers strolling through a secluded walk(二人の世界に没入しているカップル)」
【Jonesキーワード】ENJOYMENT 楽しみ/やばい、なんかすんごいイイ!

めの前にある顔、安心する。
意味もパワーもなくていいのかも。
ずっと一緒に、どこまでも―

4という数字はそれ自体が、一つの世界の「完成」という意味をもっている。
産道からこの世に生れ落ちるところから始まった意識の芽生えは、ここにきて、氷山の一角としての、最初の明晰な「意識」が無意識たる海の中から浮き出るに至る。他者や環境への適応を経ての「個の完成」。そして、その最初の記憶こそがLovers。

「初恋はいつ?」という質問に、たいていの人は「幼稚園か小学校あたり」と答えるはずだ。でも、そもそも一度も経験したことのないはずの感情を、人はどうして恋だと分かるのだろうか?

思うに、このLoversとはそういう初恋以前の初恋、つまり異性の親に対して覚える無意識の底から突き上げてくるような最初の衝動を指しているのではないだろうか。

女性であればお父さん、男性であればお母さん。
社会性を獲得する以前に芽生える、目の前の親と融合したい、合一したいという原初の感情。
いわば最初の不倫願望(最初で最後の経験になる方も多いだろうか)と言えるもの、
それがこの度数の表しているものなのかも知れない。

ポジ:純粋な融合衝動、エロスの爆発力
ネガ:過度な耽溺によって他のものが台無しになる

牡羊座5度:初心、レッドブル

【Jonesシンボル】「A triangle with wings(翼のはえた三角印)」
【Jonesキーワード】ZEAL 熱意/うぐぐぐぐ

湧き上がる衝動。
気付くと手を伸ばしている。
もう、めを離せない―

一見なんのこっちゃだが、このシンボルは抽象的なだけに純粋かつ強力で、迷いがないという感じがする。ただ一口に三角形と言っても、ヒンズーでは「△」はリンガと呼ばれる男神一般のシンボルであり、「男根」もしくは「軸」の意、逆に「▽」はヨーニと呼ばれる女神のシンボルであり、「女陰」あるいは「卵」の意を持つ。どちらだろうかと思ったが、3という数字、そして5という数字は、それぞれ、創造性と自由を表す数字で男性的なので、ここでの三角形はやはり「△」だろう。

三角形にはえている翼は、占星術的にはあらゆる境界を越える水星(あるいはヘルメス)であり、超越性や躍動感の強調だと思われる。そういう意味では、1度の退行的で静謐な雰囲気と対照的だ。

ジョーンズはこのシンボルを人間の根源的本性としての犯されざる神聖性の象徴と述べ、
それは自らのこころの底からの衝動を純粋に保ちうる度合いに応じて現われ出る、と続けている。
初心という言葉があるが、この度数の表しているものはどうもそれに近いニュアンスがある。

ただ調べてみると、この言葉には実は(1)最初に抱いた想い=初志、(2)未熟さ、
の2つの意味があり、「初心忘るべからず」という世阿弥の有名な言葉の場合、
もともとは後者の「未熟で失敗ばかりしていた頃の記憶」を指しており、
修行の各段階ごとに、各々の時期の初心を忘れるなと述べてある。

幼児期のがむしゃらさ、その中で必ず経験している数々の失敗の記憶としての初心。
そして、そこにさっと羽ばたき舞い戻ることで湧き上がる奮起=「翼を授ける」レッドブル効果
この度数が持っている熱意の秘密は、そうした「初心」への度重なる回帰にあるのかも知れない。
(△がレッドブルを飲んだのか、あるいは△を意識する=レッドブル並みの効果なのか)

ポジ:白昼夢のごときビジョンの強烈さ、情熱の強さ
ネガ:忘れっぽさ、細かいとこまで気が回らない

*1:無意識が本来もっている、因果的に関係のない人や物を直接的に同一視する傾向性

*2:肖像画に/まちがって髭をかいてしまったので仕方なく/髭をはやすことにした/門番をやとってしまったから/門をつくることにした/一生はすべてあべこべで/わたしのための墓穴がうまく掘れしだい/すこし位早くても死のう/と思っている」by寺山修司『家出のすすめ』