心のおしゃべりから抜け出す

今年1月から、芭蕉のおくのほそ道を読む、日本の古典読書会に参加している。

具体的には、チェ先生という60前後の韓国出身の方を囲んで、5,6人で月に一度中野のカフェに集まっているのだけれど、
4月初旬の会の内容が妙に心に残ったので、以下に会の様子というか、チェ先生の語りをノートを参考に書き出してみたいと思う。

イントロダクション

なぜ私たちの心はしゃべり続けているのか?
おしゃべりは心臓の鼓動にのって止め処なく続き、
そうやって私たちは「物語」を作り続けようとしている。

なぜ?何のために?
・・・・・・それは、幸せになりたいから。

だからこそ私たちは心臓の鼓動を、おしゃべりを、やめることができない。
けれど、それが同時に私たち自身を束縛する鎖にもなってしまう。
言葉によって陥った不自由は、言葉によってしか抜け出すことはできない。

『おくのほそ道』の「日光」の章の最後に出てくる次の句は、
そのことを踏まえると実に味わい深い。

「暫時(しばらく)は/滝に籠るや/夏(げ)の初め」

この「滝」とは、まさに刹那も止まることがない私たちの心の在り様そのものであり、
また「暫時」は「縛る」から来ている。そして滝に籠るとは、滝の裏へ、
つまり心の在り様の彼方へと踏み入っていくことを暗に言っているのである。
(そう言う意味では、芭蕉を深く学ぼうと、こうして路地裏のこの空間に集まっている私たちもまた、滝に籠ろうとしているのかも知れない。)


この句とセットになっているものに、次のような芭蕉の句がある。

「雲霧(くもきり)の/暫時(せんじ)百景を/尽しけり」

私が夫婦喧嘩をしている時、私の心はたちどころに雲霧のように千々に乱れ、
不安や苛立ち、怒り、悲しみなどを映し出す様々な像が心中に映し出されてくる。
(このとき、チェさんも夫婦喧嘩をするんですか?と誰かが聞いたけれど、直接それには答えなかった)


少し視点を変えてみよう。

地球という惑星を1メートルのボールだとすると、
われわれ生命が生存可能な大気圏内はどれくらいだろうか?


答えは、ほんの紙一枚の厚さである。
そこに生命というのは住まわされ、生かされて在る。


先の二句もそうだけれど、芭蕉の句というのは、いのちを本当にあわれむ熱い気持ちから詠まれている。
私たちは彼を通して、紙一枚の中の濃密な出会いを再発見していくのだ。そういうつもりで読んでいこう。


ちなみに「おくのほそ道」は、リアルタイムな紀行文ではなくて、彼自身の手による旅の手記をもとに、数年後に改めて創作されたものなので、同じモチーフで異なる句が無数にある。滝うらに関する別のバージョンを見てみよう。

「ほととぎす/裏見(うらみ)の滝の/裏表(うらおもて)」
「ほととぎす/隔つが滝の/裏表」

ほととぎす(時鳥)がないているけれど、それが滝の表からなのか、裏からなのか分からない、あるいは、表では聞こえていたのに、裏に入るともうそれが分からないということがここでは詠われている。

これは井筒俊彦風に言えば、「意味を分節すると表だけれど、それ以前の(主客が未分化の状態で一体と成っている)ときは裏であり、そういう表裏の中に私たち(の心は常に)ある」ということになるだろう。


おくのほそ道本文へ、雲巌寺より。

仏頂和尚というのは芭蕉のお師匠さんであり、芭蕉は彼の生き方を表しているうたを冒頭で思い出している。

「竪横の五尺にたらぬ草の庵(いお)/むすぶもくやし雨なかりせば」

ちなみに五尺は1M50㎝くらいで、本来雨が降らなければ、草を結ぶことも必要ない、だから実に不本意である、という心持ちは、芭蕉の生き様もまた彷彿とさせる。彼はそれを師から受け継いだのかも知れない。

ちなみにこの頃のお寺というのは、現代の閑散とした寂しいイメージと随分違って、
大きな寺であれば数千人の出家者が寝起きしているとても活気のある場所だったということも踏まえておくといい。


殺生石・遊行柳

冒頭の馬引きの青年に俳句を要求されているシーンは実に印象的。
当時はごく一般の青年が普通に親しむくらい、俳句が生活に浸透していた。

また、気前よくそれに青年に応え、詠んだ芭蕉の句もじつに素朴で味わい深い。

この章後半の「清水ながるるの柳」というのは、西行ゆかりの柳(新古今集)であり、最後に出てくる句は、芭蕉の研究者の間で今でも論争が続く、非常に解釈が難しい句でもある。

「田一枚/植(え)て立ち去る/柳かな」

普通はこれを「うっかりすごく時間がたってしまった」という芭蕉の心境を呼んだものだと解するだろう。ちょうど五月は田植えの季節でもある。

が、ここでポイントになっている(論争の焦点)のは、「植える」「立ち去る」という動詞の主語が誰なのか?という点。
上記の普通の解釈では、「植える」のは農夫(早乙女)で、「立ち去る」のは芭蕉ということになるが、それぞれに芭蕉、農夫、そして柳の木(柳の精)を想定していくと、実に様々な解釈世界が成り立つことに気がつくはず。

あえて言えば、私(チェ先生)は、「植える」のも「立ち去る」のも人間で、逆に芭蕉が訪ねた柳の木だけが残っている、という風に思える。それは、後に残され、人間を静かに見守ってくれているものに対して、私たちが覚える「拝みたい気持ち」を詠んでくれている気がしてならないから。

この物を思う気持ちというのは、言い換えれば、人間が主で物や自然が客なのではなくて、自然や物こそが主で、私たち人間の方こそが客なのだ、という見方とも言える。


芭蕉には次のような句がある。

「僧朝顔(そうあさがお)/幾死に返る/法の松(のりのまつ)」

これは恐らく、寺院の庭で松の木の下に朝顔が咲いているのを見て詠まれた句。芭蕉はこの句において、朝顔を僧とイコールで結んで「いのちあるものは現れては消える」という同じ事実の内にあるものとした上で、その側にたたずむ松に、なにかこの世を超越した存在の姿をみている。

柳の句も構造としてはこの句と同じではないか。

法の松の「法」とは「諸法実相」、さとりの世界から見た森羅万象の真実の姿の象徴的表現であり、それは「おむすびの海苔」のようなものだろう。つまり、田成るもの(いのちや、いのちの営み)を一枚の「のり」で包んでくれている。

私たちは誰もが、束の間の間あっちから出てきて、暫くの時を過ごしたら、またあっちに帰らなきゃいけない。これも法なのであって、芭蕉の気持ちもそこにある。そしてそれを静かに見届けてくれている松の木へとふっと思いを馳せることで、私たちは救われることがある。そういうものこそが本当の俳句なんだという風に思う。


白川の関

磐城の白河は、奈良時代以前より名所として日本人の心に刻まれてあり、古来より多くの歌の中で歌枕として使われてきた。

おくのほそ道の序章、芭蕉の旅たちの箇所を再び参照されたし。
芭蕉は初めからずっとこの白河の関のことを心に思ってきたので、ここでやっと落ち着きを得る。


須賀川

この章に出てくる岩城、相馬、三春は、そのまま先の東北大震災の被災地である。
そしてここで、世を厭う僧・可伸(かしん)という人物が登場し、彼を思う句を芭蕉は残している。

「世の人の/見つけぬ花や/軒の栗(くり)」

栗の花というのは、桜のように多くの人々に愛でられることもなく、また独特の臭いからむしろ人々から嫌われ、避けられている。
けれど見方を変えれば、そうすることで人々から距離をとって、静かに生きているのだとも言える。一体これはどういうことなのだろうか?

そこで改めて、私たちが一瞬一瞬ごとに、たえず西に向かっている、つまり死に近づいている存在である、ということに思いをめぐらせてみよう。
栗とは、「西」に「木」と書く。

私たちの中には、どうしても、人々に自分を認めてもらいたい、という欲望が渦巻いてあるのが普通だ。
現に、私もこうして先生として皆さんに芭蕉を教えているけれど、立派な先生として振舞えただろうか、目に目やにがついてなかっただろうか、と帰り道にまったく気にならないでいるかと言えば、それは嘘になる。
どこかで自分にとらわれているところがあるし、それこそが「滝のごときおしゃべり」なのだと言える。

けれど、栗の木はそこに無関心である。

西のすみかで、私たち人間よりもっと自分のいのちを伸び伸びと生きている。
それは確かに、世の人が気付かない「花」だろう。
けれど、それは本当のリアリティーの姿でもあるのではないか。
そういう芭蕉の畏敬の念が、この句には込められているように思う。

(ノートここまで。)


以下、自分の感想メモ。

滝のごとき心のおしゃべりを抜け出すということ。

それについて考えていると、ある夜ユングが見た「行者の夢」を思い出す。

小道を歩いていたとき、古い礼拝堂が見えてくる。

その中には祭壇があって、十字架でもキリスト像聖母像でもなく、見事な生け花が飾られている。

そしてその前に、ヨーガ行者がいて、静かに座って瞑想している。

ふと、その行者の顔が自分そっくりの容貌であることが分かる。

ユングは驚きに打たれ、目覚めながら、自分は行者の見ている夢であり、移ろい行く幻のようなものだと思う。

というエピソード。荘子胡蝶の夢ユング版と言ったところか。

あるいは、ユングの見た行者は、芭蕉にとっては柳や松の木だったかも知れない。

いずれにせよそこには見慣れた構図の異化作用があるように思う。

石ころを石ころらしくするということ。


それから言葉によって陥った不自由は、言葉でしか救われないということは、ボルヘスも井筒も取り上げていたけれど、

「句に溺れ 句に救わるる 老いの春」

という、チェ先生が教えてくれた朝日俳壇への掲載句のことが忘れられない。