2.1〜2.7日記

2月3日(水)
朝から体がだるい。昨日2日は正午すぎから夜9時までほとんど通しで鑑定。一昨日ついたちは昼過ぎから打ち合わせをして、次の日の始発で帰宅。週の前半から飛ばし過ぎた。終日静養。


2月4日(木)神保町と蠍座10度について
昼、神保町の古書センターの2階にあるボンディでビーフカレーを頼むが、肉が食いきれず、少し残してしまった。やはり体が万全でないときは物が喉を通らない。ランチ後に鑑定。夕方、もう一方鑑定。今日のおふたりは、それぞれ違う意味で、立春らしい人生のタイミングを感じさせる鑑定だった。それにしても、神保町の夜は特に冷える。けれど、居心地がいいのでつい長居してしまう。少しこの場所について書いておこう。

東京星図で神保町界隈は蠍座10度あたり。サビアンシンボルでは「昔の仲間と再会する食事会」。原文だと「Fellowship supper」でdinnerのように盛大で、いかにもメシを食うぞ食うぞというニュアンスはない。苦労や体験、ものの見方を分かち合うためのささやかだけれど、心のひだの奥まで何かあたたかなものが届くような場。初めて会ったのにそんな気がしない、気の置けない関係性が生まれる場。改めて、そんな場所に日本最大の古書店街があるのは不思議であり、どんぴしゃという気もする。ジョーンズは蠍座10度に、「FRATERNITY 同胞愛」というキーワードを付けているが、人はみな象徴的な意味で<家出人>であると考えてみれば、自分にとって特別な一冊を手に取り、読みふけっているときの感覚というのは、出家者や修行者が自らたどった長い労苦の道程を分かち合うような同胞愛と通じているのかも知れない。

神保町の現事務所は昨年の10月、知り合いの伝手でたまたま借りることができたが、その頃はちょうど自分の出生図の木星にトランジットの土星が重なるタイミングだった。そして今年は、プログレスでも出生図の木星にP土星が合になる。そういうタイミングもあり、これから自分が取り組もうとしているソーシャルな営みについて考えていく上でも、神保町という場所には興味深さと縁を感じる。


2月5日(金)宇都宮へ出張(商人塾)
宇都宮の岸会計事務所主催のセミナー「商人塾」でのゲスト講演へ。この仕事は2013年春から続けさせてもらっているので、もうすぐ丸3年になろうとしている。はじめは内容に悩み紆余曲折していたが、最近は「息と運」という大枠のテーマにからめて話すことにしてから、その時々に学んだり考えたりしたことをまとめるための場になっている。

今回は立春、旧暦上のお正月ということもあり、どんな心構えで新年のスタートを切っていけばいいのか、ということについて話をさせてもらった。その際、チェさんの教えや白隠禅師の『夜船閑話』を改めて参照。今回は話すことを事前にA4一枚にまとめたので、下記その内容を記載。

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新しい年というのは、古い年が舞台袖へと去っていって、新たな年と「違う」からこそ迎えられるものですよね。さて、この「違」という字ですが、これは織物の横糸を表す「緯」という字の右側に、「道」や「歩くこと」を意味するしんにょうをもってくることで、出来上がっています。

実は、この「緯」という字には、①織物の横糸、②東西の方向、左右、といった意味の他にもう一つ、③(儒教の教理を説く「経」に対して)未来の吉凶をうらなう書、という意味もあります。そうした書物の一つが占いの古典である「易経」であり、あるいはより身近な例として、皆さんが新年にひいている「おみくじ」がある訳です。

ただ、そうした時が違い、過去と未来が交錯するときというのは、たいていの人の場合、なんだかんだ過去へと後ろ髪がひかれてしまっていたり、あるいは考えごとや心配事で心がどこかへ行ってしまっていることがほとんどかも知れません。でもだからこそ、そうしたタイミングで上手にきたる未来へと心を向けかえることのできる人を、「“偉”人」と呼ぶんですね。彼らは自らの過去の失敗やトラウマだけでなく、業績や栄光にもひきずられることなく、未来へと向けかえることができるからこそ、偉人であり続けられるのだとも言えます。

では、未来とは、どこにあるのでしょうか?感覚的にで構いません。どっちと聞かれたら、皆さんはどこを指さしますか?あるいは、子どもにも分かるように教えてくれ、と聞かれたら……。

先に今日用意した答えを言ってしまうと、私たち日本人本来の考え方では、どうも未来というのは「下」にあったようです。たとえば、そのことを象徴的に表しているものに「ふる」という言葉があります。例えば時間の経過を表すときに「経る」と書きます。あるいは、未来にものものしいものが届くとき、残されているときには「古る」と書く。こうした「ふる」はまた雨のようにパラパラと「降る」ものであり、雨はそうして天地を繋いでいる。また「魂振る」といえば、弱まったり遊離するやましいを呼び起こし、鎮める呪術的行為のことを指します。

芭蕉中尊寺金色堂で詠んだとされている俳句に「五月雨や 降り残してや 光堂(ひかりどう)」というものがあります。この句が表しているは、心中の歴史的回顧の詠嘆とされていますが、やはりここでの「降り」は、「経る」「古る」「振る」などの掛けことばとなっています。私が教わった先生によれば、この句の世界観の前提には「私たちの世界は<ふり>続けている」という見立てがあり、そしてよくよく感じてみると、そうした世界のただ中で「ふるくなれないもの=光堂」としての自分自身が見出されてくるのだ、と。これは、先程の「“偉”人」の心の在り様に近いものを詠んでいるのだと言えるかも知れません。つまり、偉人とは、どんなに時がふることがあっても、心を鎮め、まだ顕在化され切ってない、汲み尽くされていない自分自身を見出して、下へと、新たな自分へと至ることができる。つまり“偉”い人とは、つねに新たな自分を見出し続ける人のことなんです。

逆に、出世しても、ちやほれされることを望んでいたり、人に囲まれることにばかり気を取られている限り、その人はちっとも偉くない。「鎮まる」とは尖っているものの先端(△)の上に置かれた「still」のような静かさではなく、むしろ下に沈んでいくように、静の中に動がのみこまれていく(▽)中で生まれてくる滴(しずく)のようになることであって、そこにこそまだ現れ出ていない未来があり、そこへ人は、根源的に安らいでいくこと、「閑か」になることで到達することができる(cf 「閑かさや 岩にしみいる 蝉の声」)。そこは、つねに移り変わっていくもの(流行)とは異なり、あるとは言えないんだけど、それなしには私たち自身もありえないもの(「不易」)として、ふるくならずに残り続けている。仏教ではそれを「空」というのだそうです。

私たちはふりつづける世界の中で、隠されて見えなくない未来=「下」に支えられて生きている。そうだけれども、やはりというか何というか、「上」へ上へ、世に出ようと必死に浮ついてしまう、過去の自分に捕われ続けてしまうのが人間であり、浮世というものなんですね。ただ、そうして上をのぞむ人間が一方でどれだけ未来に背を向けているかを、例えば江戸時代中期の禅僧である白隠さんも、口を酸っぱくして言及しています。白隠さんが晩年に残した「夜船閑話」という書物があって、いわゆる養生訓として知られているんですが、じつはこれも「緯書」なんです。

『夜船閑話』引用。
「養生は国を守るが如し」、「明君聖主は常に心を下に専らにし、暗君庸主は常に心を上にほしいままにす」
「人身もまた然り、道を究めてその極みに達した者(至人)は、常に心気を下に充たす」「(そうすれば)七情も動くことなく、四邪に侵されることもなく、医者にかかることはない」
「「荘子が「真人は踵で息をするが、普通の者は喉(のど)で息をする」と言うのはこのことである」
→政治も養生も、下に心を向けられるかが鍵なのだと言っています。

『夜船閑話』引用。
「(易で)五陰が上にあり一陽が下にある卦を<地雷復>という。これは冬至の候である。真人の呼吸を表したものである」
「五陰が下に一陽が上に止まるのが山地剥で、九月の侯である。自然がこの気象を得るならば、林の木々は枯れ百花もしぼみ落ちる。これは、凡庸の者は喉で息をするというところを表しており、この象を得るならば、身体は衰え、歯も抜け落ちる」
「下に三陽、上に三陰のあるのが地天泰といって正月の候である。自然がこの候を得るならば万物は発生の気を含み、百花は春のめぐみをうける。至人が元気を下に充実するところの象である。人がこれを得るならば、気血の循環は充実し、気力勇壮となる。」

気が下へきちんと降りていれば、陰極まっても再び陽となる。「地雷復」の卦は、生き残っているという様を表します。それはrest余生を生きていると感じるとき、人は自然はrestore回復し、安まるということでもあります。いのちのV字回復!それを自然に行えるのが真人すなわち仙人の深く静かな呼吸なんですね。

逆に、うわべばかりで実質が衰えつき、今にもはぎ落されようとしている「山地剥」の卦は、つい浮ついてしまい、何かと現実に振り回され、呼吸も浅くなって、我が身の置き所を見失ってフラついている私たちの姿を表しています。

そしてそれら2つの対極的な卦の中間で、内に陽が入り、外に陰が押し出されているのが「地天泰」。これは天地が交わって陰陽が和している様子であると同時に、内心たけく、外面おだやかなる君子の性格も表しているのだそう。先日は節分でしたが、まさに「鬼はそと、福はうち」ですね。「泰」というのは「過不足がない」という意味でありますから、出すものを出して、入れるものを入れれば、それで一丁あがり。きちんと循環させていれば、何事も長続きするのだということですね。

このように緯書である易経は、呼吸の神髄に触れるものでもあり、それはすなわち、新たな年や、日々違っていく時を迎えるにあたって、私たちが何をどう心がけるべきかを示してくれているのだと言えます。

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講演後は、親戚宅へいき、叔父や婆さんと、入院中の爺さん(厳密には遠い親戚だが)のお見舞いへ行き、夜は事務所の新入社員歓迎会に参加させてもらう。この事務所では昨年末から「類人猿診断」を取り入れており、実際事務所の所員の方はみな、ネームカードの横に自分のタイプを記載しているのだけど、その導入成果の一つに、うまく使えば飲み会が盛り上がる、という項を加えられるなと思った。


2月6日(土)宇都宮出張(人と会う)
やっと復調。午前中はたまたま出張帰りに帰省したはとこをと久しぶりに話したりした後、改めて病院に寄った。そこで、親戚のおじさんに遭遇。まともに話したのは、たぶん小学生以来じゃないだろうか。古本屋で「こち亀」を何冊か買ってもらったことを思い出した。そこから親戚一同で昼食をとった後、なりゆきで、はとこの彼氏の車で某社まで乗せていってもらった。小さい頃から知っている親戚の女の子の彼氏と会うのは初めてではないけれど、やっぱり複雑な気分だ。もっとも、彼の方が複雑だろうが。

夕方まで鑑定。この方とお話しするのもすっかり恒例の行事のようになったけれど、まさに自分が逆に鑑定されているのだということを最も痛感する鑑定かも知れない。最初、緊張してか、気を回し過ぎたか、どこか会話に気が通わなかったが、途中で20分くらい先方に用事が入り部屋でひとりになれたので、しばらく瞑想。それから、話の方もいろいろと調子が整ったように思う。最後、仕事道具をじっくり見せてもらったのはいい経験だった。22時過ぎに帰宅。

2月7日(日)イティハーサdeシャベル
急病人が2名出たものの、漫画「イティハーサ」について語る集いを神保町で開催。この漫画は、2000年以前に書かれた(1987年に連載開始、1999年に完結)1万2000年前の日本を舞台にしたSFファンタジー作品でありながら、びっくりするほどイマ的なテーマがてんこ盛り。自分以外の人が、この作品を通じてどんなことを感じているのか興味があったので、そういう意味ではとても有意義な会だった。

イティハーサについての考察は、また改めて色々と書いていきたいが、今回は参加者のひとりが言っていた「イティハーサを読んでいると、日記を書く手が止まらなくなる」という言葉が印象的だった。確かに、読後にかなり内省が促される触媒的作品であることは間違いない。個人的には、次回はジョージ・オーウェル「一九八四年」との比較から「悪の働き」についての考察をもう少し掘り下げてみたいと思った。
なお、去年の暮れに買って不発だったプロジェクターがようやく活躍してくれ、そこでもさりげに大歓喜。打ち上げも楽しく、2回目もぜひやりたいねと話して解散。終電一本前の電車で帰宅。ちなみに、アワビの煮貝に干しホタルイカのライターあぶりは最高のアテだった。「十二六」というどぶろく、「古代甲州」というワインも◎。お酒の味を俳優やタレントに置き換えたり、相撲の決まり手や試合運びに喩えたりする遊びはぜひまたやりたい。